Nostalgia
2005年5月9日いま生きているこの時代は、自分が生きているべき時代ではない。
そう思うことがよくある。
自分は20世紀の人間もしくは昭和の人間なのだと何かにつけて思う。
もちろん、僕が昭和を生きたのは人生の前半の10年足らずの時間でしかないし、
20世紀の世界にいた時間もこれ以上増える事はない。
僕があと何年生きるか知らないけど、全人生の中の割合としては減り続ける一方だ。
しかし、ゼロになることは絶対にない。
人生のスタート時点において僕は紛れもなく20世紀人かつ昭和人だったわけであり、
多くの人が平成へ、21世紀へと(極めてスムーズ)移行した現在も
いまだにその感覚のままで生きている。
「あのころ」の何が僕を惹きつけるのだろう?
世界情勢? 政治体制? 治安? テレビ番組? 自分自身?
…どれもきっと間違っていない。けれどもどれかひとつというわけでもない。
思うに、それらを全部ひっくるめた空気が僕の体に染み付いているのだろう。
というよりもむしろ、僕自身がそれらによって構成されていると言ったほうがいい。
「昔は良かった」という言葉とは少し違う。
良かったとか悪かったとか、正しいとか間違っているとか、そういう次元ではなく
(上記の要素に関してだけでも昔の方が良かった点はたくさんあるし、現在の方が良い点もたくさんある)、
主義思想や国籍よりも人種に近い意味において僕は20世紀人かつ昭和人なのだろう。
日本人が空間座標のどこに移動しようと日本人であるのと同様に、
20世紀人も時間軸のどこに移動しようと20世紀人なのだ。
死ぬまで変わらず。
これからの人生において、もしかしたら未来に希望を持つ事があるかもしれない。
「いま」という瞬間が何よりも大事だと思う事があるかもしれない。
21世紀の世の中に感謝する事があるかもしれない。
それでも、僕は終わらない20世紀を、終わらない昭和を生きていく。
そう思うことがよくある。
自分は20世紀の人間もしくは昭和の人間なのだと何かにつけて思う。
もちろん、僕が昭和を生きたのは人生の前半の10年足らずの時間でしかないし、
20世紀の世界にいた時間もこれ以上増える事はない。
僕があと何年生きるか知らないけど、全人生の中の割合としては減り続ける一方だ。
しかし、ゼロになることは絶対にない。
人生のスタート時点において僕は紛れもなく20世紀人かつ昭和人だったわけであり、
多くの人が平成へ、21世紀へと(極めてスムーズ)移行した現在も
いまだにその感覚のままで生きている。
「あのころ」の何が僕を惹きつけるのだろう?
世界情勢? 政治体制? 治安? テレビ番組? 自分自身?
…どれもきっと間違っていない。けれどもどれかひとつというわけでもない。
思うに、それらを全部ひっくるめた空気が僕の体に染み付いているのだろう。
というよりもむしろ、僕自身がそれらによって構成されていると言ったほうがいい。
「昔は良かった」という言葉とは少し違う。
良かったとか悪かったとか、正しいとか間違っているとか、そういう次元ではなく
(上記の要素に関してだけでも昔の方が良かった点はたくさんあるし、現在の方が良い点もたくさんある)、
主義思想や国籍よりも人種に近い意味において僕は20世紀人かつ昭和人なのだろう。
日本人が空間座標のどこに移動しようと日本人であるのと同様に、
20世紀人も時間軸のどこに移動しようと20世紀人なのだ。
死ぬまで変わらず。
これからの人生において、もしかしたら未来に希望を持つ事があるかもしれない。
「いま」という瞬間が何よりも大事だと思う事があるかもしれない。
21世紀の世の中に感謝する事があるかもしれない。
それでも、僕は終わらない20世紀を、終わらない昭和を生きていく。
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